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出産の記録 2005年10月

10月24日(月)  陣痛

23日夜に前駆陣痛があり、日付が変わって24日の午前2時頃に
病院に行きました。
この時は子宮口が全然開いていないので、
「心配なら入院する?」と看護士さんに聞かれました。
このまま陣痛が来て出産になる場合もあるけど、
遠のく場合もあると言われたので、入院はしないことにしました。

出産しないのだったら入院費が勿体ないという
ケチケチ根性と、陣痛がちゃんと来るには動く方がいいからという
考えから入院より自宅ということにしました。
インコちゃんの事も心配だったしね。

そして家に帰り、午前半休を取った夫と一緒に
近所のお弁当屋さんまで歩いて行きました。
日差しが暖かく、穏やかな日で、忙しい夫との
つかの間の安らぎの時間を過ごせました。

この日の事は、3ヶ月経った今では、記憶もおぼろげです。
確か、散歩に行くかどうしようか迷ったような気もするし、
絶対に行こうと決めていたような気もします。
とにかく、陣痛を呼ぶために散歩に出たことだけは
間違いありません。
それとネットで
「血糖値を上げると陣痛が来るから
微弱陣痛で苦しんでいる時に、チョコレートを食べさせられた」
というのを読みました。
それでケーキを食べる事にして、散歩の目標をケーキ屋さんに
しました。

結局2時間歩きましたが、最後の方は
陣痛が来るたびに立ち止まる位には辛くなりました。
でもまだ晩ご飯は作るつもりでいました。

ケーキを食べたら、最初は美味しかったんだけど
最後の方は気持ち悪くなりました。
微弱陣痛でチョコレートを食べさせられたと言う方は
大好きなチョコレートなのに、気持ち悪くて食べられなかったと
書いてありましたので、私も試しに大好きなチョコレートを
口に入れてみたら、本当に気持ち悪くて吐き出しました。
これはいよいよ来るのか...と期待しました。

結局、どんどんお腹が痛くなり、夕飯は作れずに
夫はお弁当を買って帰ってきました。
私は食欲がないのでおにぎり一個でした。

そして陣痛で苦しいので、一階に布団を用意し、
夫とは別に寝ることにしました。
私は痛くてどうせ眠れないだろうと思いました。

10月25日(火)  入院

痛みに耐え、8分間隔に定まるのをジッと待ちました。
なかなか苦しい時間でした。
夜中の2時頃に「もう病院に行ってもいいだろう」というくらい
痛くなったし、間隔もほぼ8分間隔になりました。

夫を起こし、病院に行きました。
2度目なので夫も昨日よりは落ち着いていました。
昨日は病院で車椅子を断ったけど、今日はさすがに痛すぎて
素直に車椅子に乗りました。
そう思うと昨日のはまだまだ序の口だったんですね。

でも痛みが休みになると
「また子宮口が開いてなかったらどうしよう?」
と心配になりました。
でも内診をしたら子宮口は2センチ。
まだ2センチでは、生まれるにはまだまだだというけど、
ようやく開いてくれたことに私はホッとしました。

今日は陣痛が来てる人が多いというので、
陣痛室は満員でした。
私は普通の2人部屋の病室を陣痛室代わりにしてもらいました。
夫は看護士さんが
「まだ生まれないから一旦家に帰ってください。
それともここにいたい?」と聞かれて
あっさり帰ってしまいました。
私も夫が仕事で疲れているから
「帰れば?」とは言ったけど、
それでも「そばにいるよ」と言ってくれるかと思ったのに、
ガッカリでした。
何のために陣痛室に一緒にいられる病院を選んだのか
意味無しでした。

1人で陣痛に耐えていると、別の人が運ばれてきて
その人は旦那様も付き添っていて、羨ましかったです。
私は陣痛の時に使おうと思っていたグッツも
自分では取り出せず、水も飲めず、
1人で苦しんでいました。
しかも隣にいるからあんまり声を出しちゃ恥ずかしいと
思ったりして、無言で苦しんでいました。
(まだ心に恥じらう余裕があったのでしょう)

その人は明け方頃に看護士さんを呼んで
陣痛室まで歩いていきました。
歩いた方が良いと言われていました。

その人がいなくなった時に、ついでに看護士さんが
様子を見てくれて
「導尿をしましょう。待っていてね」と
言われたけど、待てど暮らせど来てくれません。
お腹もかなり痛くなって、間隔がなくなってきたのに
まだ看護士さんが来てくれなくて、困ってしまいました。
時計をみたら、6時過ぎていたので、
もう夫を呼んで貰って良いだろうと思って、
初めてブザーで呼びました。


10月25日(火)  生まれそう

夫を呼んで貰ったハズなのに、なかなか来ません。
家からはそう遠くない距離なのに、
どうしたんだろう?とイライラしていました。
もうすでにお腹の痛みはピークで休みもなく、
お尻を押さえていないと耐えられないくらいでした。

ようやく夫が来たら、夫はコンビニで買った朝食を
食べ始めました。
もうこっちは生まれそうで必死に待っていたのに、
そんな無駄な時間使ってと呆れました。
(後からビデオを見たら、車の中で「これから立ち会い出産に
向かいます」なんて撮っていました。
もっと慌てて来てくれるかと思ったのに...)

看護士さんは
「導尿するの忘れていたわ。じゃあトイレに行って来てね」
と言いました。
ええーっ!これから歩いて??
「歩いた方がいいから」だって。
仕方なく、歩いてトイレにそおっと向かいました。
母親学級で一緒で食事したことのある人にあって、
トイレの場所を聞きました。
偶然の再会を喜ぶ余裕は私にはありませんでした。

そしてトイレで用を足し、「あれ便がでそう??」と思った瞬間、
すごいいきみが来て、
ぐう〜んと伸びる間隔がありました。
血も出てきました。
もうこの状態でトイレから出られるか判らない位でした。
付けられていたた分厚いT字体のようなものを
必死で付けて、ハアハア言いながらようやくトイレを出ました。
(今考えると、トイレのブザーを押せば良かったのでしょうね)

病室に戻り、ベッドに座ったまま、寝ることが出来ませんでした。
お尻を押さえてないともうダメな位でした。
でも看護士さんがきて、分娩監視装置を付けないと
赤ちゃんが元気か判らないから、ちゃんと寝てと言われました。
必死の思いで寝ました。
(その後、分娩監視装置を付けたかどうか忘れてしまいました)

もう耐えられなくなり、夫に看護士さんを呼びに言って貰い、
とうとう分娩室に行くことになりました。
点滴を付ける為に、腕を出さなくてはいけないんだけど
両手でお尻を押さえてないと生まれそうでダメでした。
看護士さんは夫に押さえるように指示をしました。
そして、もう歩ける状態ではない私は、車椅子で
分娩室に向かいました。

10月25日(火)  出産

分娩台に昇ったときには、すでに生まれそうなので
もう早く産みたいとしか思ってませんでした。
いきみのがしの呼吸法を教えてくれるけど、
そんなもので逃れるほど、いきみは甘くありませんでした。
生まれようとする力の強さを身をもって体験しました。
生命の力強さに感動しつつも、痛かったです。

私はすでにトイレから帰ってから、ちょっと破水してました。
でも言う余裕が無くて、看護士さんには言ってませんでした。
看護士さんは、
「会陰の伸びがすごくいいよ。ほら」
「ホントだ」
っていう会話をしていました。
沢山運動した甲斐があったなーと思いつつも、早く産みたかった。
看護士さんがちょっと内診したら、
バシャッと大きく破水しました。
「あ、破水しちゃった」と看護士さんはいいました。

とにかく生まれそうなのは、確かなので、
看護士さん達は慌ててました。
「私、手を洗わなきゃ」と何度も言いながら、
慌てている看護士さんに「早くしてよ!」と心の中で叫びました。
私は準備万端なのに、看護士さん達の準備が整わず
なかなか産めませんでした。

「旦那様の準備がまだです」なんて言っていたけど、
「もう立ち会いなんて良いから生ませてくれ」と思いました。
ようやく夫もきました。
「苦しかったら少しいきんでいいよ」と言われて
少しいきみました。
先生も術着を着て、用意が調うと、
「今度は大きくいきんでみようか」と言われ、
待ってましたとばかりに
「うーーーーん」といきんだら、
「上手よ〜」という声と共に、ぐりんと回し出されて
愛しい我が子がこの世に生まれてきました。

10月25日 朝7時45分に2568グラムの女の子が産まれました。
HNは「初花(ういか)」です。
生まれる前から決めていたHNです。
どうぞよろしくです。

出産を終えて

分娩台の上で、我が子を見せて貰ったときに
手を握り「よくがんばったね」と声を掛けました。
本当によく頑張って産まれてきてくれたと思います。

その後、一日半くらい我が子とは離されてしまうので
寂しい時間を過ごしました。寂しくて泣きました。
ようやく母子同室になったとき、
誰にも遠慮することなく、我が子を抱きしめられる喜びに
何度も何度も嬉しくて涙しました。
顔を見ているだけで、自然と涙が出てきました。

看護士さんは、体外受精で授かった子だと知っているので、
「本当に良かったわね」と言ってくれました。

出産が立て込んでいたので、カンガルーケアも出来なかったし、
初産だから長引くと判断されて、夫を陣痛の時に
帰されてしまったということもあり、
私の予定していた出産ではありませんでした。

でも無事に生まれたことが何しろ一番大切な事なので
まあ、良かったと思っています。
だけどやっぱり次に生まれる時は、
カンガルーケアしたいなー。